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Hod O'brien
 ホッド・オブライアン
 Piano
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1936年1月19日イリノイ州シカゴに生まれ、幼少の頃はコネチカット州サルスブリーで育つ。子供の頃からジャズのレコードに親しみ6歳の頃からピアノを始める。 その後、マンハッタン音楽院に進む。
1957年、名ベース奏者オスカー・ペティフォードのグループにビル・エバンスの後釜として参加。当時、ペティフォードのバンドは、有名なファイブ・スポットでセロニアス・モンクのバンドの対バンをつとめていた。その後、プレステッジ の名盤 "Three Trumpets" にDonald Byrd, Art Farmer, Idrees Sulieman 等と吹き込みを残している。
ペティフォード・バンドに在籍した後,エルビン・ジョーンズやウィルバー・ウェアーと共に JR.Monteroseのバンドにも参加している。その他、1960年にはベルギー人ギター奏者、Rene Thomas とジャズランド・レーベルに録音も残している。 1960年の暮れからベース奏者Teddy Kotick と共にStaten Islandのジャズクラブのハウスバンドを務め、スタン・ゲッツやフィル・ウッズ、ボブ・ブルックマイヤー、フレディー・ハバード、アル・コーンと云った奏者達と共演に明け暮れた。

1963年から1973年迄の10年間はJAZZ界から離れた時期もあり、コロンビア大学に入学し好きだった数学を学び、最終的には心理学で学位を取っている。 また、コロンビア大時代、現代音楽の作曲家として知られるCharles Wourinenに作曲法を学び、その後、ニューヨーク大学で統計関係の仕事をした。

70年代の中頃には、ジャズ界に戻り、NYのグリニッジヴィレッジで"The St. James Infirmary" というジャズクラブを開きベースのCameron Brown、ドラムスにBearver Harrisを招き連日、Chet Baker,Roswell Rudd, Pepper Adams、Charlie Rouse、Archie Shepp、Lee Konitz, Zoot Sims Charlie Rouse等をゲストにセッションを続けた。
その後、ジャズクラブの経営から手を引いた後、同じくNYの有名なジャズクラブ、Gregory's にギター奏者Joe Pumaと5年間に渡って週5日間連夜演奏した。この頃にはChet Bakerと共にBlue Note, Fat Tuesday, Lush Lifeと云ったNYの他のジャズクラブにも出演。

1980年以降、後に結婚する事になる歌手・ステファニー・ナカシアンと活動する機会が増える。1984年、彼が51歳になった年に娘・ベロニカが誕生し、それを機にバージニア州シャルロッテビルに引っ越す。この頃から活動の範囲も米国に限らず欧州等でも活躍の場を広げている。

ここ数年、日本での彼の評価が高まり、80年代の録音にもかかわらず、彼のLP作品はプレミアムが付く程、高価格で取引されているそうだ。

現在の米国でのホッド・オブライアン・トリオのメンバーは、RayDurammondのベース、Kenny Whashingtonのドラムスというメンバーで、定期的にNYやワシントンのジャズクラブに出演している。
真のビーバップのスタイルを自己のスタイルに吸収しつつ、ソウルフルな暖かい、そして力強い演奏は、何とも云えない魅力。
余談だが、マラソンが好きでボストン・マラソンでは3時間を切るタイムを出していると云う事をナット・ヘントフが書いている。

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19th、21thに参加。